◇株式会社エサップ◇東京都千代田区麹町、半蔵門駅より徒歩2分。創業30年以上、出版・編集で培った技術を生かし、正確なトランスクリプション(テープ起こし・反訳・速記)をお届けします。

メディアコンパスバックナンバー(1〜6)メディアコンパスバックナンバー(6〜17)

 

メディア・コンパス

メディアコンパスは、トランスクリプション、翻訳、出版界に長年携わっている
株式会社エサップによる、昨今メディアへの考察になります。


 

『「音声記録」について(1)』―― メディア・コンパス19

 メディアを帯磁させることによって、音声信号を記録する磁気録音方式自体は、1888年にオバリン・スミスによって着想され、
デンマークのヴエルデュール・ポールソンによってシステムとして完成されたワイヤーレコーダー「テレグラフォン」が最初である。

  より扱いやすいプラスチックテープとしたのはフリッツ・マイヤーであったが、いずれも音質の向上には至らなかった。

  1941年、音質も飛躍的に向上し長時間高音質の録音が可能になったのは、ドイツにおいてだったがこれは一般化されることなく、
第二次世界大戦中、アドルフ・ヒットラーの長大な演説の録音や、フルトベングラー指揮によるベルリンフィルの録音に使用されて
歴史的音源となったが、其の他においてはUボートの通信戦略に使われたり、ナチスドイツの防諜戦略に利用された。

  この技術は、戦後アメリカに移出され1947年には3M社が磁気録音テープとして発売された。 そして1948年のLPレコードの
開発と前後して、長時間録音や音質の向上もあって音声取材に使われるようになった。


  しかし、現在とは違って新技術の普及には、同等の経済力と技術力が必要だったのである。
日本では、1950年ソニーが紙テープモデルを発売したのが最初である。これが民間放送の勃興と前後して、取材用の可搬式録音
機デンスケを生み出していくのである。

  この当時は、オープン式リールでしばしば録音に失敗することもあったが、1960年にはカートリッチ式のコンパクトカセットが発売
されるに及んで、忽ち携帯型プレヤーで聞くモバイルオーディオというスタイルを生み出し、更に磁気テープからICレコーダーに発展
して行った。


  更にここに音声記録の文字化の技術、即ち「テープ起し」が加わることによって公的記録も私的記録も、爆発的に増大して行くこと
になる。それを更に後押しすることになったのが「情報公開」の傾向である。その詳細は明らかでないが、議会議事録はもとより、
テレビ・映画のスーパーインポーズ、諸官庁の会議録、イベント記録、病院の診断記録、裁判記録に及ぶまで、情報の公開性の浸透
に伴って少なくとも公的機関の発する情報は全て「読まれる情報」として公開されるようになった。

 しかし同時に、ここで新たな問題が発生してくることになる。


  音声記録も、いずれ利用されることを前提にして保存・管理されなければならない。まず、音声記録を管理するためには音声の文字
化が必要である。音声の再生には録音の実時間が必要であり、実時間が必要である限り文字化による情報活用のための保存管理は
避けられない。とすれば、新しく膨大な量の音声情報の文字化資料を管理する「図書館」のごときものが必要とされるのであろうか。

 また、現在のテレビの多チャンネル化によるグローバルに展開する情報の交雑を考えると今日における情報集約の方途が見えない。
そこから考えると少なくとも、現在の情報科学では音声情報の活用には限界があることは明らかである。

                                                                   2015.2.28 引地

 

『百舌の季節』―― メディア・コンパス18


■1
サトウ・ハチローの詩に「百舌よ 泣くな」というのがある。大衆詩人サトウ・ハチローの32歳の頃の作品で、昭和10年10月に刊行された『僕らの詩集』に収録されたものである。作品自体は、次の様な全体である。

  「         百舌よ 泣くな          サトウ・ハチロー


         百舌が枯れ木に 泣いている
         おいらはわらを たたいてる
        
         わたひき車は おばあさん
         こっとん水車も廻ってる
 
         みんな去年と 同じだよ
         けれども足り無えものがある

         兄さの薪割る 音が無え
         バッサリ薪割る 音が無え

         兄さは満州へ 行っただよ
         鉄砲が涙に 光っただ

         百舌よ寒くも 泣くで無え
         兄さはもっと 寒いだぞ                     」  

 この解説を書いた与田準一によると、「昭和10年前後の少年少女雑誌ではハチローがもっとも活動し、第二次大戦への突入にしたがって、義美、聖歌、準一等は、百田宗治、丸山薫、村野四郎、山本和夫等の詩人とともに、小国民詩の世界に歩み入り、世は挙げて軍歌調となります。敗戦のいろ濃くなった昭和19年10月、日本小国民文化協会公募制定、軍事保護院献納小国民歌「お山の杉の子」は、サトウ・ハチローの補作によって、童謡調の終止符をうちました」となります。

 ここでいう小国民とは、「年少の国民、すなわち次代をになう少年少女。第二次大戦中に用いられた語」ということになりますが、今ではすっかり使われなくなりました。

  筆者は昭和11年1936年生まれですから、この詩が書かれた当時のことはもちろん判りませんでしたが、「百舌よ 泣くな」は昭和30年代の事だと思いますが新宿あたりの「歌声喫茶」ではよく歌われていました。また、「お山の杉の子」は昭和18年の国民学校入学ですが、その国民学校でも全校揃って歌わされていました。全校揃って歌う等は、「君が代」以外なかったころですから、非常な緊張感の中で全員多分歌っていました。

■2     
  ここでメディア・コンパスのテーマとして、この詩を取り上げてみたいと思ったのはよく見ると百舌にたいする経験が筆者とは随分と違う、ということです。

  百舌は、筆者の経験の中ではどうしたわけか、田んぼが刈り上がって周りの森や林が裸になって、光のあるうちはいいが空が曇ると景色が一変してしまう秋が深まりはじめた頃、地上低く飛んで田んぼの藁ニオや葉を落とした木の上で、長めの尾を挙げて鋭く鳴いている。その頃になると、こども心にももう外に出るのがおっくうになって、学校帰りの風の強い日など、半ズボンのしたのふくらはぎから血が吹き出したりしてくる季節でした。帰り道に水でもいじろうものなら、もういてェいてェの世界で、母のメンタムか父親の馬の油ですくわれるしかありません。

  そうなると、その後につづく季節の厳しさは予想できました。足全体がささくれだって、踵にはあかぎれが、ふくらはぎや脛にはひび割れができた。その痛いこと。これは毎年の事ではあったが、つづくのは耳たぼの雪焼け、手のあかぎれ、掌側の雪焼けで、それらがざっくり割れてしまえば、ヒネキツネといったと思うが黒い膏薬を貼ってあかぎれを閉じる。もうそうなったら炬燵に入るにも外に出るのも泣き泣きで、どちらもこれらの症状を改善することにはならなかった。

  百舌が、キィーンと鳴いて目についたのはそうなる季節の少し前、まだ柿の実やドジョウ堀りに外にでる事がまだつづいている頃であった。

  百舌はすばやくて美しい鳥である、という記憶がある。ただ、大人に聞かされた蛙や蝗をハンの木の小枝にさした早贄には、少し百舌の生活の背景を思わせるところがあって、支配者みたいな顔をしてバカな事をしているという感じがした。なにしろ百舌は、他の小さな野鳥も餌にするのである。それが空の雲を目印にするとはなんとしたことだろう。僕が実際に八幡様のハンの木のしたの畑で見た百舌の早贄は、ハンの木の小枝に刺された蛙と蝗とドジョウだった。既に相当に黒ずんでいて、生き物としても餌としても役に立ちそうにも思われなかった。

■3
  「百舌の早贄」や「百舌の捧げ物」とか「空の雲を目印にする」だとか、そういうことを教えてくれたのは、父だったか祖父だったか忘れてしまったが、多分物知りの母だったかもしれない。ただ、「百舌の神への捧げ物」といった言い方には、「昔話」のような不可思議なことを言っているのではないという日常性があった。

  もちろんそうした印象には、後日に聞かされたものとの錯綜があるのはやむを得ない。
筆者が発表当時に、この詩を読んだはずはないから、むしろ最初は新宿の「歌声喫茶」だったかもしれない。何故この詩を歌ったのかといえば、戦前にあった悲しむべき農村の現実を忘れてはなるまいという思いが、歌い手の中にあった様な気がするのである。

  この詩を考えてみると、この詩の前提にあるのは出征した父親のいる家庭で、祖父さんと婆さんと孫たちで暮らしている。そこから長男が出征していく、というストーリーである。それでも農村世界は平和であったのだが、長男が満州へ行くことで一気に困難な局面にいたる。そこに長男の涙があり、しかし頑張ってくれという留守家族の願いが何気なく歌われようとしている。百舌は泣かされているのである。

  しかし、この当時の農村の状況はどうだったか。 
読売新聞の渡邉恒雄氏が回想録のなかで語っている。大学2年のとき勤労動員で新潟県の岩船郡関川村沼地区というところにいく。召集令状がくるまでの農作業の手伝いである。結果的には2カ月であったが、召集令状は次次に動員先にくる。その動員先の印象を次の様に書いている。

  「貧農の生活を目の当たりにしていると、2・26事件を起こした将校たちではないけれども、同情したね。新潟とか東北の寒村はひどいもので、死に物狂いで働かなければ食っていけない。 そこは、ひとつの田んぼの面積が一坪ぐらいの棚田。畦が作ってあって、そこを登っていく。本当に非生産的な農業だった。僕は19歳の同い年の娘と二人で肥え担桶を且ついて、急坂を登って、田んぼに行くんです。肥え担桶の中は自分のした糞なんですよ。はじめ僕はそれを知らなくて、便所に行って糞をたれるたびに紙で拭いていた。そしたら紙を捨ててはならんと。みんなは柿の葉で尻を拭いてるわけだ。紙はすぐには腐らないけれども、柿の葉っぱはすぐ腐るからね。

 化学肥料のない頃だから人糞と尿が一番大切なんだな。田植えの前に、まず水を引く。無色透明で飲めるくらいのきれいな水ですよ。そこに糞尿の桶をもって行って撒くんだ。見る見るうちに田んぼはうんこで黄色になる。

 同い年の娘も、小便をしたくなるとサッと尻をまくって、僕のいる横で田んぼにするわけですよ。原始的な農業だね。それを鋤ですくわけだ。そうするとピヤッ、ピャッと黄色い水が飛ぶ。それが口に入るんだ。堪えられなかったね。こんな事を毎日させられるぐらいなら死んだ方がいいと思った。軍隊に行ったら、こんな糞まみれになることはないだろうと考えたね。

 だから招集令状がきたときは、何のショックもなかった。             」 
 
  サトウ・ハチローが書いた農村と渡邉氏が経験した農村は場所は違うかもしれないが歳月は10年も違わない。にもかかわらず、現実認識がこれほど違うのはサトウ・ハチローには国家目的によって締めつけられつつある農村を肯定的に歌おうという意図があり、渡邉氏にはなかったということであろう。目的がなかったとすれば、目前の現実を意図的に曲げる必要はなかったのであったろう。

■4 
  ついでに筆者の東北の村の、当時の状況を思い出してみよう。
村には、わたひき車も水車もなかった。もう無かったというべきかもしれないが、母の幼い頃に祖母が母たちのために機を織ってくれたことがあるとは聞いたことがある。これがそうだとは示されたことがないから、よそ行きのものではなかったのあろう。

  しかし、村々から満州へは沢山の人が行った。開拓民として一家をあげて行った人、軍属で行った人、志願で行った人、召集令状が来て招集された人、どの村どの部落にも一人もいないということは無かったのではなかったろうか。「兄さは満州へ行っただよ」
しかし「鉄砲が涙で光っただ」は、容易に想像できることではあっても、誰も満州へ行って行ったものの現実は見ることができなかったから、その頃は、満州にはいいことだけがあるような雰囲気が村にはあったのではなかったろうか。

  現に私の長兄などは、少年航空補充兵として志願して満州へ行った。志願していくのには、望んでいくという一面があるから少年で航空隊に行く様な晴れがましさが一方であったのかもしれない。それが良かったのか悪かったのか、思い惑う様になったのは、多分、戦局が揺れ動いて自分たちの上にも空襲がくる様になってからであったろうが、その時には父母の選択肢はもはや無かった。

  しかしながら、「兄つぁんは志願して満州へ行った」ということは前途を切り開くために行ったのだ、というニュアンスがあったことは否めない。祖父も父も母も、長兄が志願して満州へ行ったのは一家の自慢の種であった。その意味では、「百舌よ寒くも泣くでない 兄つぁんはもっと寒いだぞ」という側面も、遺されたわれわれには示されていた様に思う。 どういうわけが、「秋の百舌」なのである。

 百舌は一年中いる鳥である。ただ、秋になると落葉樹は葉を落とし、田んぼの稲は刈り上がるから、地面を低く飛ぶ百舌が目立つのである。

 秋風もヒョウヒョウと葉のない梢をわたっていく。百舌の止まっている木も枯れ木ではない。秋は長い冬の前の寂しい季節である。出来秋は大人は忙しいが少年期のわれわれにはさほどの用事があるわけではない。家の前の刈り上がった田んぼをわたっていく秋風の末に目をやると、右手に奥羽山脈の青い影が見え、風下には遠く男爵家の土蔵の白い壁が見える。それを過ぎると風景はかすんでしまう。そのあたりの風景の中に百舌はいたのであった。

 キィーン、キィーンと鳴き声をあげて地上低く飛んで行く、尾が長めの茶色っぽいい胸毛に同系色の頭、その下に鋭く黒っぽい横に切り開かれた目、その中心にある鋭いくちばしが餌を狙っている。しばしば見かけることはあるが飼ったことはない。なのに目が行くのは、筆者自身が秋の気配に敏感になって、冬の予兆におののいている為かもしれない。
                         

2014.7.1  引地



 

メディア・コンパス――7〜17はこちらからご覧ください。

 

 

『日本の鉄道 車窓風景絶景100選』――メディア・コンパス6

■小社も手伝った『日本の鉄道 車窓風景絶景100選』新潮新書

 本書は、上の地図帳の「鉄道旅行をより楽しむための情報の提供」を数字やデータを充実させるだけでなく、さらに実際に旅行に出かけたときに役だつ情報を網羅するために企画された「語り」による選択である。

 4人の乗り鉄、地図エッセイストの今尾恵介さん、鉄道ジャーナリストの杉崎行恭さん、思想史の立場から明治学院大学教授の原武史さん、鉄道写真家矢野直美さんによって選ばれた全国の「車窓100選」が語られている。

 それぞれの「絶景」は、今尾さんが河岸段丘など地形の視点、杉崎さんが「激しい風景」、原さんが歴史的文化的視点、矢野さんが「田園などのやさしい風景」という視点、まとめたのは「地図帳」企画の総責任者で、日本の鉄道の全線完乗者である田中比呂之さんである。長尺の語り合いであるから「脱線」も含めて読みやすい。選択者の目の特異性も分かりやすい利点がある、という面白さである。

(2009年10月16日 引地正)

 


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『日本鉄道旅行地図帳 』――メディア・コンパス5

■正寸正尺『日本鉄道旅行地図帳 』 新潮社刊

 21世紀に入って9年、出版が長期低落傾向に陥ってから15年余になるが、ひさびさにこれは見るべきものかもしれない。

 2008年5月、新潮社はJTBから「旅」を買って以来かと思われる旅企画を売り出した。

 この「日本鉄道旅行地図帳」は現在、累計147万部を超えたそうである。内容は正寸縮尺の地図上に鉄道地図の全線全駅を乗せたこと、加えて廃線と新線予定を乗せたことで、正寸地図上に鉄道の歴史を記したことが確かな「大地」の表現の一つとなったようである。

 例えば第1巻の「北海道」では、この鉄道の廃線地図がそのまま北海道開拓史の風景を見るようである。途中までしか工事のできなかった鉄道、完成運用してから廃線となった鉄道など、鉄道マニアに限らず、知るものが見れば身にそくそくたるデータ集である。

 筆者は東北の出身であるが、根釧原野などの開拓には近親者が多く関わっている。その一人から来た手紙の住所は、確か最後が「原野一番線12番地」であり、それは根釧原野に引かれたいく筋かの線のような道路を示しているようであった。そこにどのような家が建っていたかは想像に余りある。地図とは、そのようなものを包含しているのであろう。

 この地図では、釧路を中心にしてみると海岸を走る根室本線があり、釧路から知床斜里でオホーツク海に出て海岸沿いに網走に出る訓網本線の線路が一本あるだけである。網走に向かって右は根室支庁、左は根室支庁から上川支庁にわたる茫漠たる原野のなかに、鉄道らしいものは動いていない。

 しかし、やはり廃線、未成線図を見ると標茶から中標津、釧路から北見相生を通って美唄、白糠から北進を通って足寄と、いく筋か通っていたのである。開拓の展望は、それらの企図とどのように関わっていたのであろうか。それをうかがわせるのが、原風景である。

 現在は、どのように見えるであろうか。根釧原野に埋もれてしまった鉄道は、どのような足跡をその風景の中に刻んでいるであろうか。見ていると、なかなか興味の尽きない地図である。

(2009年10月16日 引地正)


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情報とフォルム−2 メディア・コンパス4

■音声入力された「情報」とは

 最近、最高裁判所は裁判の記録に、NEC社が開発した音声入力機を使うよう決定したそうである。このニュースは、新聞の囲み記事なので自分で確認したわけではないが、しかもこの音声入力機の音声識別能力は瞬時に30人まで可能だとのことである。

 今まで音声入力機は、NECに限らずフィリップス社製のものも出回っていて、ほとんど音声の復唱がつけば、相当の確度で入力される段階にはあったのである。しかし、問題は声の個別認識能力の速さと入力情報の様式化であった。

 つまり、発言の内容は仮に拾うことができても、それがどこの何という人の発言なのかはいちいち名乗ってもらわなければできなかったわけである。また、それに先立って、会議の持つさまざまな特質に対応する認識力が、入力機には欠けていたのである。

 今回の場合は、裁判記録であるからその点は機能の高度化もあって相当程度解決できるとしても、情報のもつ様式化の問題は以下の点で残るものと考えられる。

 まず、第1点はこの音声入力のフォームはどのように設定しているのか。情報には、その情報に与えられるべきフォームがあって、そのフォーム抜きでは情報として用をなさないという泣きどころがある。情報の様式化、図式化である。
加えて、
第2点は、点(、)や丸(。)の加入。
第3点は、改行の指定とフォルム。また、行あきの指定処理。
第4点は、用字用語の選択。さらに叫び声、泣き声のようなものの処理、ケバ取りの基準。
第5点は、ファクトチェック、資料の取り扱い。
等、情報処理の常識的な点を考えてみると、入力の部分は相当程度機械に依拠することができようが、従来のチェック作業が減少することはないように思われる。

 ただ、問題点と効率は常に相反している。かつてイギリスの議会は、18世紀から19世紀の終わりまで公式記録を持たず、任意でされた民間の記録を間違いは間違いとして依拠していた、という時代があるから、音声入力機の程度を程度として依拠するということがあれば、音声入力機による入力は100%有効とされることになりうるかもしれない。

 いずれにしても、このようなトランスクリプションツールができたとあれば、テープ起こしは大変革を迎えることになる。これはいつごろ、一般的にいくらで売り出されることになるのか。また、今後もさらに高度化するための研究は続くのか。ぜひ、知りたいところである。

(2009年9月8日 引地正)


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情報とフォルム−1 メディア・コンパス3

 メディアは、所詮情報生産者への奉仕者である。結果的にいえば、有効な情報の再生産に奉仕することがメディアの存在目的である。
テレビも新聞もその他のメディアも、この域を超えるものではない。超えているように見えることがあるとすれば、情報に与えられた流通のためのフォルムがあるからである。

 出版社が、ある種の専門出版社であり得るのは、その専門情報の生産者を独占できているからであり、そのメディアにふさわしい情報流通のフォルムを創造しえているからである。しかし、専門出版社の流通フォルムは他のメディアによって追求されたものではないから、専門書固有のフォルムを出ることはない。

 今日、専門分野の仮説が成功した場合、この仮説の一般化は避けられない。会社においても、大学においても、研究室においても、その成果の問われるのは当然であるから、専門分野の研究者は否応なく仮説の一般化を求められるのである。

 仮説の一般化は、当然一般的なメディアによって形作られなければならない。例えば、専門的な仮説が活字メディアによって追求されたものだとすれば、映像、テレビによって説明されるのがより一般的である。

 映像・テレビによって解説される場合、仮説は単純化した図式、あるいは図示によって視覚的に説明される。したがって情報流通のフォルムは、そのメディアに対応したものとなり、仮説はさらに多面的に追求されることになる。
つまり、この仮説はテレビであれば視覚的に、映像であればさらに動的に追求されるフォルムになるわけである。

(2009年8月20日 引地正)


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RTT=Real Time Transcriptionシステムの意義 メディア・コンパス2

 人の話を聞いて理解する、という行為がコミュニケーションの基本であることは周知の所である。そしてまた、日常会話において、講演において、あるいはシンポジウムにおいて、講義において、会社の上司の指揮命令、契約交渉等においても、コミュニケーションの成立のためには正確には合意文書の積み上げによってしか確認されないこと、これも諸賢の周知するところである。つまり、会話と認識の合意の間にはいくつかの認識の段階が必要なのである。
  ましてIR=Investment Relationのレクチャーにおけるような正確にして迅速な説明と理解の必要な場合においては、幾重かに用意されたコミュニケーションツールの準備されることが有効である。

 そのためには、レクチャーする音声がそのまま会議場に聞こえることはもちろん、同時にレクチャーされた文言がそのまま会議場のスクリーンに投影され、参加するものはすべて耳で聞こえたことを目でも確認できる、しかもレクチャー会議の終了後には、出口でその説明文書が第三者の手によって手渡されるというのがもっとも理想的である。なぜなら、そこには音声と同時に掲示されたスクリーンによる確認があり、しかも内容が耳に残っているうちに第三者によって保証された確認文書が渡されるからである。

 しかし現在、このような理想的な議事録、あるいは確認文書の作成は不可能である。まず第一に「音声の絶対的な記録」という方法はないからである。音声入力が進歩したといっても、確率の範囲なのであって絶対の100%の記録ということではないのである。その限り、現在においても記録は参加者の「合意」によって成立せざるを得ない。したがって、現在のニュース、あるいは記録は、発信者の意図も含む「発信者の責任」によってなされざるを得ないのである。

 その理を周知のこととして、われわれトランスクリプション業者はリアルタイムトランスクリプションの実現に向って努力しているところである。実際のところ、レクチャー、会議、シンポジウム等々の記録を完全にするためには、人力によるタイピング速度のおよぶところではない。しかし、近年進歩のめざましいDeaf-MuteのためのRT−Tシステムはほぼ実況記録の段階まで達しているといってよいであろう。あるいはベテランの同時通訳クラスの水準にいたっているといって過言ではない。

 では何故、RTTシステムは実況記録段階に達することができたか。
第一は、同一文書のタイピングを複数人によって遂行するというコンビネーション&ソフトの成功、これは長年のトランスクライバーとしての経験によるところが大である。第二は、これも長年にわたるトランスクライバーとしての識見の積み重ねによるところが大きいが、記録の要約化である。これらはいずれも外国語の同時通訳の要領と言っていい内容である。
従来、トランスクリプションは、音声からの成文翻訳といわれてきた要素がある。
(これは同じ音声を複数人で起こすと、同じ文意でありながら微妙に異なる表記の人数分の記録ができる、という実験あるいは経験でも明らかである)、その要素がまさに活かされた、あるいは認められるに至りつつある、ということかもしれない。

 普通人は、同時通訳が発言と同時に始まり発言と同時に終わることを不思議と思わない。主要なる内容は漏らさず通訳されていると思っているし、仮に不安を感じることがあっても、その後に出される文書によって確認すべきものは確認できると思っている。実に、音声の文字翻訳においてもそういう時代がきたというべきなのであろう。
社会的に異国人を理解できないものとして差別したり、Deaf-muteを人外の人として差別したりして済む時代ではなくなったという背景もあるのであろうし、レクチャーにおいて必要不可欠なものは、その後の文書によって確認できる、という記録に対する社会的認識の変化もあるであろう。
  つまり、万人に等しくレクチャーや会議や、シンポジウムの記録が与えられようとすれば、同時通訳が認められるように、音声のリアルタイム文字翻訳も必要不可欠なものとして認められる、あるいは認められなければならない時代に成ったということではないだろうか。あと必要なものは、いずれも発信者の合意のみである。

 その意味においても、RTTシステムは、現代の時代が生む出して来たものだといえるかもしれない。

(2009年7月27日 引地正)


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[ABC協会の雑誌部数公査]2008.  メディア・コンパス1

日本ABC協会は、加入会員誌の2008年1〜12月期の公査部数を2009年4月23日付で発表した。日本ABC協会は、加入会員である発行社、広告会社のために、会員社が発行する雑誌・新聞の発行部数(販売数)を次の要領によって「公査」している。ただし、公査する雑誌・新聞は会員社が発行するすべての雑誌・新聞ではなく、発行社が申請するものに限られている。協会の財務は、会員会費とこの申請誌紙の公査費用によって賄われている。

■[部数公査]の要領
公査は次の6極からの調査によって確認される。

(1) 販売会社部数 トーハン、日販などの販売会社をへて、主に書店やコンビニエンスストアで販売された部数。
(2) 即販会社部数 鉄道弘済会、啓徳社などの即売会社をへて、即売スタンドで販売された部数。
(3) 新聞販売店部数 新聞販売店をへて、販売された部数。
(4) 予約購読者部数 定期予約購読を契約している読者に販売された部数。
(5) 直接販売部数 雑誌社の窓口で販売された部数や、団体などに直接販売された部数。
(6) デジタル版販売部数 インターネットを経由して画面上で閲覧する読者に販売された部数。


以上、6極の調査部数は返品差し引きの部数で、いかなる種類の非販売部数も含まない。

■[公査誌数および分類]

公査誌数は、週刊誌49誌、月刊誌108誌で有力誌はすべてに近く含まれている。週刊誌は総数で736万部、1誌平均15万260部。月刊誌は1,315万部で、1誌平均12万1,783部である。

 さらにこれらは、日本ABC協会、日本雑誌協会、日本雑誌広告協会で統一した「雑誌ジャンル・カテゴリー区分」で、総合・ライフデザイン・ビジネス・ライフカルチャー・情報・趣味専門の6部門に分類区分されている。

   「総合」は、月刊誌は、致知、文藝春秋、週刊誌はAERA、サンデー毎日、週刊朝日、週刊アサヒ芸能、週刊現代、週刊新潮、週刊大衆、週刊プレイボーイ、週刊文春、週刊ポスト、SPA!、ニューズウィーク日本版、週刊女性、女性自身、女性セブンの17誌である。

   「ライフデザイン」は、smart、FINEBOYS、MENS NON・NO、casa BRUTUS、SAPIO、スポーツ・グラフィック ナンバー、Tarzan、BRUTUS、おとなの週末、LEON、サライ が男性バージョンの11誌である。

   「ライフデザイン」の女性バージョンは、Wink up、SEVENTEEN、nicola、ピチレモン、ポップティーン、ViVi、S Cawaii、CanCam、JJ、Zipper、JUNON、spring、SEDA、non・no.PS、PINKY、BLENDA、Ray、ar、AneCan、with、Oggi、CLASSY、spur、sweet、Domani、日経WOMAN、BAILA、MORE、InRed、VERY、家庭画報、クロワッサン、Como、STORY、婦人公論、LEE、毎日が発見 の38誌である。

   「ライフカルチャー」として、家の光、ESSE、おはよう奥さん、オレンジページ、サンキュ!、すてきな奥さん、はんど&はあと、ボンメルシィ!スクール、ボンメルシィ!リトル、Mart、レタスクラブ、美的、FYTTE、MAQUIA、クウネル、天然生活 の16誌。

   「ビジネス・マネー誌」として、オール投資、月刊金融ジャーナル、月刊ベンチャーリンク、週刊ダイヤモンド、週刊東洋経済、日経情報ストラテジー、日経トップリーダー、日経ビジネス、日経ビジネスアソシエ、BIG tomorrow、プレジデント の11誌。

   「情報」はモノトレンド7誌とエリア情報7誌、テレビ情報2誌で、モノトレンド情報誌として、GoodsPress、GetNavi、DIME、デジモノステーション、特選街、日経TRENDY、Begin、Best Gear、の8誌。

   「エリア情報誌」としては、月刊 新潟Komachi、KansaiWalker、KyushuWalker、TokaiWalker、TOKYO1週間、TokyoWalker、YOKOHAMA Walker の7誌である。テレビ情報誌は月刊テレビジョン、ザテレビジョン の2誌。

 その他、趣味専門としてスポーツ2誌、自動車1誌、パソコン8誌、文芸・歴史1誌、健康誌2誌、エンターテインメント情報誌2誌、ゲーム・アニメ情報誌2誌、建築・住宅2誌、業界・技術専門誌19誌、その他趣味・専門誌8誌、合計して47誌が収録されている。

 次回から、これらの部門別の収録誌について、実例を引きながら部数と広告料がどのような関係で決められているのか、クライアントの感触など。また、カテゴリー分類の有意性についても聞いてみたい。

(2009年5月10日 引地正)




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